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最後の思想家/吉本隆明(詩人)/87歳

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吉本隆明氏が死去 よしもとばななさん父 戦後思想に圧倒的な影響

スポニチアネックス 3月16日(金)6時49分配信

 文学、思想、宗教を深く掘り下げ、戦後の思想に大きな影響を与え続けた評論家で詩人の吉本隆明(よしもと・たかあき)氏が16日午前2時13分、肺炎のため東京都文京区の日本医科大付属病院で死去した。

 87歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は未定。

 今年1月に肺炎で入院し、闘病していた。長女は漫画家ハルノ宵子さん、次女は作家よしもとばななさん。

 1947年東京工大卒。中小企業に勤めるが組合活動で失職。詩作を重ね、「固有時との対話」「転位のための十篇」などで硬質の思想と文体が注目された。戦中戦後の文学者らの戦争責任を追及し、共産党員らの転向問題で評論家花田清輝氏と論争した。

 既成の左翼運動を徹底して批判。「自立の思想」「大衆の原像」という理念は60年安保闘争で若者たちの理論的な支柱となった。詩人の谷川雁氏らと雑誌「試行」を刊行し「言語にとって美とはなにか」を連載。国家や家族を原理的に探究した「共同幻想論」や「心的現象論序説」で独自の領域を切り開き、「戦後思想の巨人」と呼ばれた。

 80年代はロック音楽や漫画、ファッションに時代の感性を探り、サブカルチャーの意味を積極的に掘り起こした「マス・イメージ論」や「ハイ・イメージ論」を刊行。時代状況への発言は容赦なく、反核運動も原理的に批判した。
今宵は、いい年をしたおじさんたちの多くが、吉本隆明の死をそれぞれのやり方で、 偲ぶことになるのだろう。
どこかで頼りにしていたおやじさんに逝かれた時のような寂しさで、初期詩集に震えた頃の自分の青春時代の魂の彷徨を思い出しながら、政治闘争や地域闘争の世界で傷つき自分の居場所がわからなくなったときに依拠した原点の思想や言葉に勇気付けられた日々を振り返りながら、あるいは「反核異論」や「オウム・麻原」や今回の「反・原発への留保」のさまざまな発言に「吉本も耄碌してみちゃおれなかったね」とあらためてうだつをあげながら・・・百人百様のいろんな偲び方があるのだろう。 吉本さんのご自宅には二回、お伺いした。 一度は19歳のとき、『試行』の直接購読をお願いするために。
もう一度は、20代になって、ある政治行動家の著作をまとめあげる仕事をお手伝いすることがきっかけで。
吉本さんの著作や対話集や多くの吉本論は、雑誌で特集されたりミニコミめいた自主出版的なものやDVDで朴訥な決して流暢とはいえない語りをおさめたものまで、ほとんどすべてがまだ古本屋にいかず、僕の書棚のある一角に積み上げられている。
文庫本になっても、そのあとがきや補注を見るためにだけ買ったものも多い。
どこまで彼の思想を理解しているとか、そんなことはどうでもよかった。
『聖書』の一節を開いてその言葉に短い時間でもなにかに触れるように、無性に読んでみたくなるときがあるのだ。
親鸞をめぐる論考でも、難解な『心的現象論』でも、鮮やかな論争の快感を感じ取れる『情況への発言』でも、文学論や戦後詩論やマンガ論でもなんでもよかったのかもしれない。
多くの吉本論者や反吉本論者やかくれ吉本論者たちに会った。
この何年かは糸井重里が吉本の言葉を再編集してわかりやすく若い人たちに伝えようとしていた。 糖尿病でもう拡大鏡をつかわなければ文字が読めなくなり、自らの『遺書』や『老い』論にことよせて、それでも最後まで発言を続けた。
戦後民主主義や同伴知識人や群れをなすことを拒否した最後の思想家。
彼が「善意は墓場に通じている」と言う時、僕は自分の中で「いい子」であろうとするようなふるまいを無意識でふりまいているのではないかと、冷やっとすることが何回もあった。
そして諭されるように軌道修正をしながら、敵もまたつくらざるをえなかったことも多かった。
「3.11」から1年がたち、吉本さん流にいえば「戦争が露出してきている」。
吉本さんはいつも「死ねば死にきり」とおっしゃっていたが、あらゆる意味で彼の言葉や行動に影響を受けた多くのものたちは、今宵それぞれの思いの中で、自分を振り返ることになる・・・合掌!

 

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