姪っ子メグ おじさん、急に冷え込んできたね。
キミオン叔父 まあ、11月も末だから、当たり前かもしれないけどね。先週からストーブを引っ張り出した。この前、ご近所の方から、薪をたくさんいただいたし、12月に入ったらいよいよストーブだな。
おじさん、小さい頃はどうだったの?
田舎の家はとても寒かったこと覚えている。昔風の旅館作りの家だったから、なんか隙間風が入ってきて、とにかく布団の中にもぐりこんでもしばらくはあったまらない。
炬燵だったの?
そうね。居間は炬燵があって、隣の部屋はストーブと火鉢だな。こども部屋は電気ストーブだったかな。
あたしの世代だと、もう電気カーペットがあって、電子毛布があって、中学生ぐらいには床暖房があって、エアコンがあってという時代だったかな。
そうだろうな。でも火鉢っていいんだぜ。ちょっと網で餅なんかもすぐ焼けるしさ。いつも干物をあぶりながらテレビに釘付けになっていたよ。
それいいな。やっぱ、木炭を使うの?
木炭の時もあったし、豆炭もあった。
豆炭?知らないなあ。
お風呂も薪で沸かしていたし。それもいろいろカーボイトみたいなのとかタドンみたいのとかいろいろあったなあ。
全然、わかりません。そういえば、ちょいっと昔の写真を見ると、ちゃんと燃料屋さんがどこの町にもあるものねぇ。
大田区立博物館は久しぶり。「今日は湯たんぽ」の特集。
「冬のぬくもり、エコ暖房」というのは、貧相なキャッチコピーねぇ。
「湯たんぽ」というのは「湯婆(とうば)」から来ているのか。婆というのは「妻」ということだからな。妻の代わりに暖をとるということか。女性向けには男の字が当てられているし、ちょっと性的な雰囲気があったんだな。
たしかにねぇ。ぽかぽか気持ちよくて離れられなくなるものねぇ。あたしたちはゴムだったかなプラスチックだったかな。おじさんは良く見る亀の子みたいな金属の?
そうそう、アルミ製だったかな。あと、展示を見て急に思い出したけど、おばあちゃんなんかは、懐炉とか布団でも足を温めるのだろうけど、箱の中に線香みたいなのに火をつけて、それを使っていたな。その灰を捨てに行かされたの覚えてる。
懐炉か。ここから「ホッカイロ」というネーミングにもなっているのね。でも、3.11のあと、電気が使えなくて、あんまり生産してなかった湯たんぽが飛ぶように売れたんですって。
やっぱりだけどこういう「物」を見ると、ずっと忘れちゃっていた記憶が一気に甦るよ。
この博物館から山王あたりは馬込の文士村でしょ。最初は宇野千代と尾崎士郎のカップルよね。
そう、それで関東大震災でいろんな文人が焼け出されちゃって、モダンで騒ぐのが好きだった宇野・尾崎が「お前らも来いよ」と誘ったんだな。そこからさまざまな文人や画家たちがこのあたりに集まった。
そのなかではおじさんは誰に興味があるの?
文人では、片山廣子。
知らないなあ。
明治生まれのお嬢様なの。父がロンドン総領事、で大蔵省勤務の夫と結婚して、35歳ぐらいでアイルランド文学を学び、若いときから佐々木信綱に師事した詩歌で、歌集を出す。45歳で戯曲集の翻訳で、坪内逍遥や森鴎外に絶賛を受ける。だけど、夫は早くになくなり寡婦となっている。
美人なの?
謙虚な人で写真も三枚しか残っていないけど、絶世の美人。で、事件はそのあとなんだ。46歳の時、室生犀星や堀辰雄と軽井沢の「つるや旅館」に来ていた芥川龍之介に偶然会って、ふたりはビビンとくるんだな。
でも芥川は35歳で自殺してるから年上だったのね。
そう15歳近く上かな。まあ一方は「貴婦人」と呼ばれた人だし、精神的な愛だと思うけど、ふたりの交流はそれぞれの作品に暗示されている。芥川が死んだ7月末はクチナシの花の最盛期だけど、彼は片山廣子を「クチナシ夫人」と呼んでいた。クチナシの花言葉は「優雅」。
ふーん、そうなんだ。
彼女は、夫を若くして亡くし、一人息子も40代で急逝し、そして芥川に先立たれた。「あけがたの雨ふる庭をみていたり 遠くに人の死ぬとも知らず」なんて歌を残しているよ。
そうか、ここの文士村界隈にもいろんなエピソードが残っていそうね。今日は西馬込のほうから歩いてきたけど、今度は山王のほうからブラブラしようよ。
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275日目「冬のぬくもり、エコ暖房/湯たんぽ(大田区立郷土博物館)」大田区
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