時事通信 11月14日(水)19時22分配信
舞台「放浪記」やテレビドラマ「時間ですよ」をはじめとする数々の作品に出演、「日本のお母さん」として人気を集め、国民栄誉賞を受けた女優の森光子(もり・みつこ、本名村上美津=むらかみ・みつ)さんが10日午後6時37分、肺炎による心不全のため東京都内の病院で死去した。92歳だった。京都市出身。葬儀は近親者で済ませた。
長年にわたって芸能界の第一線で多彩に活躍。80歳を過ぎても舞台に立ち続け、親しみやすい芸風は誰からも愛された。大衆演劇の中でも日本では育ちにくいとされてきた喜劇の振興にも尽力した。
京都の旅館の家に生まれ、戦前から映画に娘役で出演。夫婦漫才師ミスワカナ・玉松一郎の慰問団に加わるなど芸能活動を行っていたが、戦後、肺結核で活動を休止。1950年代に復帰後は大阪を中心にラジオやテレビに出演した。劇作家・菊田一夫の誘いで芸術座の舞台に立ち、61年、菊田作の舞台「放浪記」で主人公の林芙美子を演じた。劇中の「でんぐり返し」で知られる同舞台の出演は前人未到の2017回を数えた。
一方で、東芝日曜劇場など数々のドラマに出演。銭湯のおかみを演じ、堺正章さんらとの掛け合いが話題を呼んだ「時間ですよ」シリーズなどで、お茶の間の人気を集めた。2010年に滝沢秀明さんとの舞台に出演した後、女優活動を休止していた。
早くに両親をなくしているが、もともと嵐寛寿郎の従姉妹でもあり、芸人志望であった。
十代でチョイ役に出演したり、戦中の慰問団や戦後の進駐軍関係でジャズを歌ったりしたが、病気療養もあってなかなか芽が出ない。
人生の大きな展開はふたりのプロデューサーとの出会いによる。
すなわち、「放浪記」の脚本を書いた菊田一夫と、「時間ですよ」の演出家である久世光彦だ。
紅白歌合戦の安定した司会ぶりも含めて、その後は日本のお母さん像のトップを走り続けた。
決して美人ではないが、若い時からちょっとお茶目でかわいらしい顔だ。
身長154cm、体重40kg、僕の母親とまったく同じだ。
もちろん、健康管理には人一倍の努力を続けただろうし、もしかしたら尋常性白斑という病気もあいまって、晩年になっても白い肌が際立っていたのかもしれない。
気配りの人、努力の人、好奇心の人、無類の好奇心、貪欲な役者魂・・・彼女を褒め称える言葉はあふれんばかりだが、そのエネルギーはいったいどこからあふれてくるものなのかが謎といえば謎だ。
隣で平気でヒンズースクワットなどされれば、僕などすぐに退散!てなものだ。
女優魂といえば、先ごろお亡くなりになった山田五十鈴も無類の女優魂を絶賛される。このふたりは山田五十鈴が三歳上だが、戦前・戦後の日本をともに歩んできた大女優である。
でもその印象は、僕には正反対のような感じがする。
山田五十鈴はベルさんの愛称で少女の頃からずっと光を浴びてきた。そして女優としてはじめての文化勲章を受章している。
森光子は遅咲きであったが、俳優では唯一の生前授与で、国民栄誉賞を与えられている。
山田五十鈴は「静」の人、森光子は「動」の人である印象を与えるし、山田五十鈴は尊敬はされても安易に人を寄せ付けないところもあり、森光子はたぶん誰に対してもウェルカムの人であったかもしれない。
けれども、この偉大なふたりの女優の共通点は、秘められた恋、失意に終わった男女関係は多かっただろうが、生涯の連れ合いというものを、どこかで拒否したかたちになったことかもしれない・・・合掌!