朝日新聞デジタル 8月28日(水)13時19分配信
「タンゴの女王」と呼ばれ、本場のアルゼンチンでも知られた歌手の藤沢嵐子(ふじさわ・らんこ、本名早川嵐子〈はやかわ・らんこ〉)さんが22日、老衰のため新潟県長岡市内の病院で死去したことがわかった。88歳だった。葬儀は近親者で行った。
東京都出身。1949年、タンゴ楽団「オルケスタ・ティピカ東京」のリーダーで、のちに夫となる故早川真平さんにスカウトされ、同楽団の専属歌手に。53年、タンゴの勉強のため、早川さんらと訪れたアルゼンチンのブエノスアイレスで、当時のペロン大統領主催の慈善演奏会に出演。大反響を呼んで一躍有名になり、「ママ、私恋人が欲しいの」などがアルゼンチンでヒットした。
日本でも50〜60年代のタンゴ全盛期にトップ歌手として活躍し、紅白歌合戦にも5回出場した。アルゼンチンタンゴの巨匠でバンドネオン奏者のアストル・ピアソラとも共演した。91年に引退した。代表曲は「さらば草原よ」「ジーラ・ジーラ」など。
このところ、週に一度ある会合が神保町で行われるので、周辺の古書店やカレー屋さんや古い喫茶店などを再訪することがままある。
先日もなつかしのミロンガでタンゴを聴きながら、ビールを飲んだ。
創業は1953年、僕の生まれた年である。
ラドリオ、サボール、ミロンガといった煉瓦造りの古い神保町界隈の喫茶店は、ひとりで青春の日々を回顧するシニアの聖地である(笑)。
日本にはタンゴ調の曲がたまに大ヒットすることはあるが、もちろんアルゼンチンタンゴの正統性から来ているものではない。
藤沢嵐子さんは日本のタンゴ界においては女王(プリンセーサ)であるが、1957年から5回連続紅白歌合戦に出場している。
まあ、タンゴ界の代表みたいな位置づけかもしれないが、4回目だったか5回目だったか、その歌声が記憶に残っている。
YouTubeであらためて藤沢嵐子の歌を聴いてみる。
ピアソラと共演。本場アルゼンチンでも 絶世を博したらしい。
いいですなぁ・・・今度、ミロンガでリクエストしようか・・・合掌!