Quantcast
Channel: サーカスな日々
Viewing all articles
Browse latest Browse all 542

297日目「都市から郊外へ/1930年代の東京(世田谷文学館)」世田谷区

$
0
0

姪っ子メグ なんかおじさんと、この間、地域ゆかりの名士探訪みたいな企画展示とか常設展示とかによく行ってるね。
キミオン叔父 都内だけでもさぁ、それはそれで単なる行政区とはいえ、それぞれ「ゆかり」があるものねぇ。この間は、板橋区立美術館で池袋モンパルナス展や 松涛美術館で渋谷ユートピア展や。町田でも文学館に行ったね。以前、山王・馬込文士村や阿佐ヶ谷文士村や田端あたりの文士村の関連企画にも行ったよな。墨田・台東・文京区あたりもずいぶん散歩しながら「ゆかり」の展示品を見たっけな。
おじさん、『散歩の達人』をずっと購読していたものねぇ。あれ、お祭りとかの歳時記があるじゃない。ほとんど毎日よね(笑)。
うん。そうだ、もうシルバーパスってなくなったの?オジサン、毎日、バスでフラフラ出かける人になりたいよ(笑) 
世田谷区ってどうよ。
オジサンは今目黒区なんだけどさ。ちょっと歩けば、品川区、大田区で、バスや電車でふたつぐらいで世田谷区に入り込む。家が環七の近くだからさ。世田谷区ってさ、行政区的に言えば五つに分かれるの。世田谷、北沢、玉川、砧、烏山ね。

世田谷地域は三軒茶屋、北沢地域は下北沢によく行くかな。
玉川地域は田園調布から等々力渓谷あたり、砧地域は砧公園から岡本あたり、烏山地域では祖師谷あたりにたまに出没するね。
世田谷ってもともと、武蔵国だから国府は府中市、旧東京市に編纂されたのは、昭和の恐慌以降なのねぇ。
今でこそ、人口88万人ぐらいで、まあ結構中流以上の高級住宅地も多いし、税収入も東京ではトップランクだけど、もともとは武蔵野台地だもんなぁ。


今日の世田谷文学館は1930年代の世田谷を中心とした東京の変貌に焦点をあてている。世田谷区が誕生したのが、1932年ですものね。
関東大震災の復興で、東京でも多くの文学者や美術家が郊外へと移り住んだ。池袋モンパルナスも渋谷ユートピアもそうだ。もともと豊かな農耕地と多摩川流域の自然に恵まれていた。この世田谷文学館に近い蘆花公園あたりじゃ、徳富蘆花がトルストイに心酔して、晴耕雨読をやってたんだからねぇ。
それで、なんといっても鉄道網の発達よね。玉電から始まって、東急、小田急が整備されてくる。で、理想の田園都市を謳った田園調布と、学園町を構想した成城がその象徴になったのね。
文学の象徴としては江戸川乱歩。少年探偵団シリーズは郊外に住む中産階級の住宅地が主要な舞台になってるからな。そこに半ズボン姿の少年探偵団や明智小五郎や怪人二十面相が登場する。
小林少年がさぁ、上野公園の浮浪のこどもたちを組織するじゃない。だけど、それはやっぱり別働隊で、主力の探偵団は、世田谷に住んでいるそれなりのお坊ちゃん(笑)
あと、なんといってもトーキーの撮影が砧で行われて、そこに映画関係者が押し寄せた。東宝の全身のP.C.Lだよね。華やかだっただろうね。絵画・彫刻や音楽や版画の世界も取り上げられているけど、まあこのあたりはもう何度も過去の世田谷美術館や世田谷文学館で見てきたよな。
今回は、全体を通じて桑原甲子雄の1930年代の頃の東京の写真が軸となっているね。桑原さんは戦前はアマチュアカメラマンだったんでしょ。
そう。下町生まれで早くからライカを手に入れて、投稿の常連ですごく注目されていた。戦後は一転して、カメラ雑誌の編集長になって、選者の側になったわけだ。でもこの人のやっぱり戦前の東京の庶民のスナップはいいね。世田谷ではボロ市の風景があったね。今回は『夢の町』からの出品が多かったかな。

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 542

Latest Images

Trending Articles