Quantcast
Channel: サーカスな日々
Viewing all articles
Browse latest Browse all 542

ランドマーク/林昌二(建築家)/83歳

$
0
0

中野サンプラザなど設計、林昌二氏が死去

読売新聞 12月2日(金)11時20分配信

 

 林昌二氏 83歳(はやし・しょうじ=建築家、元日建設計副社長)11月30日、心不全で死去。葬儀は近親者で行う。

 東京・銀座の三愛ドリームセンター(1963年)、中野サンプラザ(73年)、日本プレスセンタービル(76年)などを設計。皇居に面して立つパレスサイド・ビル(66年)はモダニズム建築の名作として評価が高い。限られた予算で豊かな空間を作り出す設計は「貧者の美学」と呼ばれた。日本建築家協会会長も務めた。妻の故雅子さんも建築家。著書に「建築家 林昌二 毒本」など。


林さんが現代日本の建築の巨匠たちと異なるのは、生涯日建設計という日本最大の建築デザインの会社のチーフアーキテクトであり、副社長、副会長という経営にも携わっていたことだ。
もちろん、その他の現代建築界の巨匠たちも多くの後継を育ててはいるが、日建設計の企業内アーキテクチャーや独立していった人たちの数は桁違いだ。
大きな建築物を作るには、十年ぐらいかかることもあるし、入札などでアングラな動きも含めてさまざまな苦労がともなう。
単純に発注主と建築家との幸福な関係などは、ほとんど大規模施設には関係なく、もっともっとビジネスのさまざまな過程を経て、受注となる。
この人の建築物は、どれも印象的なランドマークになるような建物である。法律的なさまざまな制限や施主の矛盾した要望をくぐりぬけてその先にアーキテクトの思想をどこまで保存できるか。
ポーラ五反田ビル、三愛ドリームセンター、パレスサイドビ、中野サンプラザ、物産本社、新宿NSビル、文京シビックセンター、IBM本社・・・どれもランドマークである。
最後のお仕事はポーラ美術館であった・・・合掌!

Viewing all articles
Browse latest Browse all 542

Latest Images

Trending Articles